これ以外にも祀られている神として有名なのが、牛若丸です。牛若丸、いわゆる源義経公は源義朝と母常盤御前の末っ子として1159年に誕生しました。しかし災難が起こります。それは生まれてすぐに平家に父である義朝が討たれ、平家に捕らえられてしまうのです。
そして鞍馬寺に入れられてしまいます。年数を経て源義経は平家が父の敵であることを知ります。そこで義経公は鞍馬寺にて毘沙門天に祈りをささげながら文武に励みます。それから後、平泉の藤原秀衡のもとで過ごし1180年に頼朝の軍に加わることを決めます。
1184年1月に木曽義仲を、2月に平家を一ノ谷で破ることに成功します。しかし残念なことに関東御家人と対立してしまうのです。また不運が続きます。それは後白河上皇の策のため、頼朝の許可なく官位を受けてしまいます。その結果、頼朝との仲が悪くなるのです。最終的には1189年に藤原泰衡が襲ってきたのを最後に平泉の衣川館で自害するのです。
寒川比古命と源義綱公、それ以外にも天照皇大神(あまてらすおおみかみ)・大国主命(おおくにぬしのみこと)・大山祇命(おおやまつみのみこと)・国狭槌命(くにさつちのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)が祀られているのです。
実際に白旗神社ができた時期は明確には分かっていません。しかし鎌倉時代以前より神奈川県周辺に神様・寒川比古命をお祀りしている寒川神社と呼ばれていましたものがありました。1189年4月30日、源義経公は兄である源頼朝の怒りを買ってしまい、追い詰められてしまいます。その結果、岩手県平泉の衣川館において自害したという話は先ほどしましたよね。
その時の義経の首は岩手県から鎌倉に送られました。鎌倉に付いた時に和田義盛・梶原景時によって義経かどうか確認がされたと言われています。言い伝えによると弁慶の首も一緒に送られたとされています。二人の首は夜に白旗川を上り、白旗神社の地に辿り着いたと考えられているのです。
このことを知った頼朝は、白旗が源氏の旗であるという理由から白旗明神として祀るようにと命が下ります。その結果、義経公を神様として祀る白旗神社ができたと言われています。
この説明だけでもわかるように、たくさんの神様が存在するこの白旗神社ではたくさんの願いを受け入れてくれるのです。特に直観力や発想力がすごくて、ここに来れば様々なアイディアが沸いて出るとも言われています。それ以外にも恋愛のパワースポットとしても有名ですよ。
恋愛に行き詰ってしまった、もしくは知恵がなかなか出てこなくてムズムズしてしまうなんてこともありますよね。彼氏との関係が倦怠期に入ってしまった、好きな人の態度がはっきりしなくて困っているなんて時には一度足を運んでみましょう。素敵なアイディアが浮かび上がってくるかもしれませんよ。
白旗神社へ行くときは、自分の悩みを明確にしてから行くようにしましょう。そうすることで、漠然とではなくしっかりと解決策を見つけることができる可能性が考えられますよ。今までにない輝かしい自分を見つけに行ってみてください。
⇒神社での参拝方法や過ごし方
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寒川比古命は、大昔関東地方を中心に開拓を行ったとされている神様です。農業・漁業・土木や商工業、そして建築などの開発を担当し、関東文化の基礎を作った神様として崇められています。
様々なことに精通していたため土地や人々・そして仕事関係などの広範囲に渡って守護神・八方除の神としてたくさんの人に愛されてきた神でもあります。地相や日柄・厄年等すべての災難などを取り除くことができる、そして運勢を開けさせることができる神として崇められています。
白旗神社は、源頼朝が葬られていた法華堂跡地に建ち、源氏と鎌倉の歴史と密接に関連する場所です。ここは、敷地一体に紫の気が流れていると言われています。これは頭が働いて発想、直観力が身に着く気だそうです。
モテ気はライトな感じの引寄せですが、もう少し関係が深まると、相手にあった対応をして心をつかむ必要があります。そのような相手を落とす戦略的なものが、ここに来ると与えらると言われています。頼朝の智謀に関連しているのかもしれません。